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藍の歴史
藍の歴史
 
世界の歴史

エジプト
エジプトの藍の歴史は古く、テーベ古墳で発掘された紀元前2000年頃のミイラには、藍で染めた麻布が巻かれていました。当時すでに藍はエジプトで栽培されており、その後インド・中国へと広がり、オーストラリアを除く全世界で栽培されたといわれています。

インド
インドでの藍染は紀元前2000年頃といわれており、この当時すでに製藍は輸送に便利なように固形化されていました。紀元前一世紀には一部欧州へも輸出されており、インド原産の青色染料としてインジカンと呼ぶようになり、これが藍の代名詞「インジゴ」となりました。

中国
中国の古書に藍が表れるようになったのは紀元前一世紀ころからで、荀子の「青は之を藍に取りて、藍よりも青し」との名言もあります。
中国では当初藍は薬用に用いられていました。葉は毒虫に刺されたときや腫物に貼用し、果実は中国で古くから漢方薬として解熱・解毒に服用されており、その後染色用として用いられるようになったといわれています。

アメリカ
アメリカにはアメリカ原産のナンバンコマツナギ(別名アメリカ藍)が自生していました。
藍の染色布はガラガラ蛇等の爬虫類の嫌う臭いを持っており、約200年前よりアメリカではカウボーイたちが藍の葉をジーンズの染色に用いたのもこのためであるといわれています。そのジーンズは現在は殆ど人造藍で染色されており、世界中の若者を中心に愛用されています。

日本の歴史


飛鳥時代に中国から持ち込まれたといわれています。

藍染は古くは夏季だけの染色でした。藍は刈り取ってすぐに用いられ、葉を直接桶などに仕込んで藍建てして染色したものと思われます。

室町時代には、藍カメを土中に埋めて保温し、火壷を設け加温する藍建の方法が発明され、また藍草を発酵させてスクモを作り出し、夏場だけでなく年間を通じて染色できるようになり、現在の藍染の手法はこの当時に確立されました。

日本最古の藍染めの組紐
武州の歴史

「四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった」
これは明治の文豪、田山花袋の名作「田舎教師」の冒頭の一説です。
当時、武州特産の青縞は羽生にとって代表的な地場産業で、この染め上げられた青縞は武州藍として全国に知られていました。

青縞は、江戸時代後期 (天明年間)に騎西周辺の農家の副業として始まった藍染めの綿織物です。糸を染めた後布に織り上げるため、糸の染めむらによって縞柄のように見えることからこう呼ばれています。青縞の生産は、北埼玉地方の羽生、加須、行田が中心で、野良着をはじめ、足袋の表地などにも用いられてきました。農業の機械化に伴い需要が激減し、現在は数軒で技術を伝えるのみとなっています。

江戸時代より幾多の栄枯盛衰をくりかえしてきた武州正藍染の伝統ある「青縞」の存続に尽力しています。

 

青縞
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